Topics:熊本支援プロジェクト「けっぱれ熊本」

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熊本支援プロジェクト「けっぱれ熊本」

熊本地震の被災地では、今なお多方面に深刻な影響が続いています。そこで、クリエイティブオフィスキューを応援してくださる皆さまと一体になって、熊本地方を応援しようという取り組みが「けっぱれ熊本」です。
ひとつの出会いがまた新しい出会いにつながっていく……。日本の北と南でギュッと手を携えて、がんばろう熊本!がまだすばい熊本!けっぱれ熊本!

都会から距離をおく2人だから語れることがある

樋口さんは大丈夫だろうか…鈴井貴之、熊本へ

熊本地震発生から2か月余りが過ぎたこの日、鈴井貴之の姿が阿蘇くまもと空港にありました。第一の目的は、熊本市在住のシンガーソングライター・樋口了一さんに会うため。前日まで降り続いた大雨の名残か、北海道とは違う蒸し暑い空気を感じながら車を走らせます。

熊本地方を震度7の地震が襲ったとのニュースを聞いた時、鈴井の頭に真っ先に浮かんだのは樋口さんのことだったといいます。
「僕の中では、熊本イコール樋口さんですから。ネットに『樋口さん、大丈夫でしょうか』と書き込んだら、『鈴井さんありがとう。…大丈夫、新しい朝がもうすぐ始まります。』とリターンがあって、一安心しました」

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鈴井「樋口さんとは頻繁に会う間柄ではありませんが、要所、要所で会っている気がしますね。地震があった時は、どちらにいらっしゃったんですか?」

樋口「前震(4/14)の時は仕事場にいて、何の前触れもなくドーンと。頭上のスピーカーや25キロぐらいあるアンプが吹っ飛んで、気が付いたらもみくちゃにされていて。椅子ごと1メートル近く移動していました」

鈴井「ケガは?」

樋口「足をちょっと切っただけで済みました。本震の時は仕事場にはいなかったんですが、想像するだけで怖いですね。火山性の地震の経験はあっても、あれだけ揺さぶられる地震が起きるなんて予想していませんでした」

鈴井「まさか九州で!?とびっくりしました」

樋口「実は、地震の2週間前に(東日本大震災の被災地)女川へ行って、頑張ろうねって話してきたばかりで。いつ自分が被災して、立場が変わるか分からない。これが現実なんだなって思います。でも、女川の人たちの前向きな姿勢を見ていたので、参考になりました」

鈴井「僕も女川にお邪魔したことがありますが、みんなポジティブですよね。あの力はすごい。どうして自分が…とかにならない。振り返らないんですね。ピンチをチャンスに変えようとする強さがある」

樋口「女川の人から『水曜どうでしょう』が心のよりどころになったという話を聞きました。着の身着のままの状態で、体育館の中で3日間過ごさなきゃいけなかった時、誰かが『ここをキャンプ地とする(※)』と言ったらしいんですよ。その元ネタを知っている人たちから笑いが起きて、それをきっかけに3日間乗り切れたんですよって」

鈴井「こっちは、誰かの力になろうなんて思いながら番組を作っていませんけどね」

樋口「僕の『1/6』もそう。いろいろな人が自分の応援歌ですって言ってくれるけど、そんな願いを込めて作ったつもりはないんです。よく読むとネガティブな歌詞ですし。それを受け取る人が膨らませて、歌を育ててくれる。あの曲は僕の元を離れて、いろいろな世界で成長しているんでしょうね」

※「ヨーロッパ・リベンジ」第三夜で藤村Dが放った名言。第1回どうでミー賞名セリフ部門第3位

熊本に移住して気づいたこと

樋口さんが東京を離れて、家族と共に故郷の熊本に居を移したのは2011年のこと。

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樋口「19歳の時にミュージシャンを目指して、熊本には二度と戻ることはないと決めて東京へ出て行ったんです。それが、熊本出身じゃない嫁さんと子どもと一緒に戻って、音楽の仕事をやるなんて。その時の僕には一番ありえない選択肢だったんですけど、だからこそやりたくなったんですね」

鈴井「天の邪鬼ですね(笑)。2010年に僕が生まれ故郷の赤平の森にアトリエを構えようと決めたのも、そんな感じです。表向きは財政破たんになりそうな町に仲間として受け入れてもらうためにアトリエを作ったんです。そんなところへ行っても何にもできないだろって思われても、やってやろうって。それで実際、赤平が舞台のテレビドラマを作りました」

樋口「引っ込んで、そのままおとなしくなっちゃうのか そこでしかできない活動をするのかの分かれ道じゃないですか。僕は自分の病気もあって、だんだん活動の範囲が狭くなっていたんで、これは何かガラッと変えてやらなきゃ終わるなとも思って」

鈴井「熊本に帰って、新しい発見はありましたか?」

樋口「東京にいると、東京を中心だと考えてしまうんです。それが、熊本に戻って日本を見渡すと東京がone of themに感じるというか、一地方に感じるんです。不思議なんですけど」

鈴井「分かるような気がしますね」

樋口「鈴井さんは、本当に森を開拓しているんでしょ?」

鈴井「毎日、泥だらけなってる自分にびっくりしてます。あれだけアウトドアが嫌いだったのに(笑)」

樋口「どうしてだと思います?」

鈴井「分からないんです。これまで土をいじってこなかった分、今やっているのかなっていう気がしますね。あと、やっぱり生まれたところに戻りたいのかなって。樋口さんは、熊本に帰って一番良かったことは何ですか?」

PHOTO 樋口「昔住んでいた家をリフォームして、かつての自分の部屋を息子の部屋にしたんですね。それがなんだか不思議な気持ちになるんですよ。自分歩んできた道を、息子たち第二世代がなぞって、さらに膨らませてくれているような。そんな気持ちを味わえたのが一番嬉しかったですね。昔は、子どもができたら自分は主役の座から降りなければいけないのがいやだったんですけど、今は脇役に回ることが実は自分を主役にする一番の近道なんだって気づきました」

PHOTO 樋口了一さんProfile 熊本県出身。代表曲は「1/6の夢旅人2002」「Anniversary song」「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」(日本レコード大賞優秀作品賞受賞)など。「1/6…」のオリジナルは、『水曜どうでしょう』(HTB)の「ヨーロッパ21カ国完全制覇」の際、鈴井が当時パーソナリティを担当していたラジオ番組にピンチヒッターとして樋口さんが出演し、鈴井・大泉を元気づけようと自発的に作った曲。また『水曜…』の「サイコロ3」では樋口さんの自宅・仕事場を訪問しています。2011年からは故郷の熊本に拠点に活動中。

樋口了一オフィシャルサイト http://www.higuchiryoichi.com/

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