音尾琢真
お外で遊ぼう。
宮崎奈緒美
ごちゃまぜティーパンチ
ごちゃまぜティーパンチ
鈴井貴之
Road to South Africa
Road to Germany
大泉洋
生涯の食事
飯野智行
飯野智行の肉体改造計画
藤尾仁志
阪神と日ハムの日本シリーズが見たい!
森崎博之
「NYのモススメ」
んぅぅぅぅぅうまいっ!!
河野真也
絶景!絶品!絶好ドライブ教えまんにゃわ
大阪こんなトコありまんにゃわ
北川久仁子
alle colle ART
戸次重幸
俺の観た映画だ!
同時プリントでお願いします!
大下宗吾
大下宗吾の人間観察日記
大下宗吾の人間観察日記
安田顕
顕さんの“男列伝”
安顕のBritish Rockなお話
小橋亜樹
綺麗道
お外で遊ぼう。第3回
著:音尾琢真
私の愛した裕次郎。
2008年6月10日午後5時20分。猫の裕次郎は亡くなりました。
レントゲンや病理学検査を駆使するも、原因を特定できないまま逝きました。
思えば12年前からの長い付き合い。大学に入って一人暮らしを始めて、2年生の終わりから飼い始めたあの頃をよく思い出します。
それ以前に飼ったことのある動物は、さらに小さくて、寿命の短い生き物達ばかりでした。クワガタ、ドジョウ、フナ、金魚など、ケースや水槽の中に入れてエサをあげるだけの生き物達。小学生の僕には生き物という感覚もなかったように思えますが、今となっては彼らにも尊い命が宿っていたのだと、生命の不思議を感じています。
初めは、大学2年の終わりにふと「猫を飼いたい」と思ったことからでした。
雄猫を飼って男同士語らい合いたい、という謎の感情が僕を動かし、周りに言ううち、程なく猫の新しい飼い主を探しているという人の話を耳にしました。
それは、まだ小学生になるかならないかという子供を二人かかえる家庭で、子供達に猫アレルギーが出たので飼えなくなった、という事情があったようです。
喜び勇んで会いにいった一軒家の広いリビングには、寂しげな子供達に見守られた二匹の子猫が。トラ模様の、少し茶色がかったそれと、キジトラの黒っぽい猫。茶色がかった子猫は落ち着いていて、黒っぽい方はもう一匹の周りを元気に走り回っていました。
元気に走り回る姿は僕の心に運命的なものを感じさせました。
やんちゃで、手の平に乗るほどの大きさで、男の子だけれど、名前は「モモちゃん」。できれば二匹まとめて引き取りたかったけれど、初めてということと、お金もかかるということもあり、泣く泣く二匹を引き離すことにしました。
茶色っぽい猫はその後どうなったのかはわかりません。もしかすると誰かに愛されてまだ元気でいるかもしれないし、死んでしまったのかもわかりません。二匹いれば楽しかっただろうな、と今でも思っています。
かくして連れ帰った猫「モモちゃん」には「裕次郎」と名付け直しました。
憧れるスターであり、男らしいイメージのあるタフガイ、石原裕次郎さんの名前から勝手にいただきました。
しかし男らしい名前とは裏腹に、よくなつき、寝る時なども布団に入ってきてピッタリとくっついてきたり、いつの間にか腕枕に寝ていたりと、かわいらしい猫で、かと思えば、お腹が空いたらギャーギャーさわぎ、それが朝方の僕がまだ寝ている時間でも、騒いだり飛び乗ってきたりしてエサをねだる、自分勝手な猫らしい猫。よく鳴いて、よく走り回って、棚の上やテーブルにも飛び乗って、置いてあったものを次から次へとなぎ倒していくやんちゃぶり。
事情があってリーダーである森崎氏の部屋に一泊預けた時も、走り回り棚の上を蹴散らし、夜中にもよく鳴いて迷惑をかけたことがあります。
最初一緒に過ごした部屋はペット不可のアパートでした。急遽引っ越すわけにもいかず、当面大丈夫だろうと高を括っていると、ある日玄関のチャイムがなり、戸を叩く音が鳴り響きました。
「管理会社の者ですが。」
その一言にはずいぶん怯えました。
しかし裕次郎は相変わらず走り回り、よく鳴いています。
居留守を使おうとは思いましたが意を決し、狭い部屋の玄関へ通じる扉を閉じてから玄関の戸を開けました。
「音尾さん。猫飼ってますよね?」
ドキリ。でも動揺していないふりをして、飼ってませんよ、と言いました。
「飼ってますよね?」
と今度は苛立たしげに言われたけど、やはり、飼ってません。と答えました。
「わかってるんですよ。困るんですよね、うちはペットは禁止していますので。」
それでもしらを切り通していたその時。背後の戸から、
「ニャー!ニャー!カリカリカリカリ・・・・」
と、鳴き声と戸を爪で掻く音がひっきりなしに聞こえてきました。
「音尾さんね、うちはペットを禁止してますので。早急に処分して下さい。明日また来ますからね。」と管理会社の方は言い捨てて去っていきました。
もともと、バレたらどうしよう、と怯えながら暮らしではいましたが、やはり厳しいものでした。
早急にどうしたらいいものかと悩みましたが、処分する気はないので、引っ越しをするまでは、当時お付き合いをしていた女性の家に預けました。それが最初に離ればなれに暮らした時です。
ペットを飼えるアパートに暮らしてからは落ち着いた日々でした。木造アパートだったので、周りの住人に迷惑はかけないようにするのは大変でしたが。
自分が、大学に、バイトに、劇団に、と忙しくしていたので、裕次郎は家の中だけで飼っていました。いつでも外との出入りをできるようにできれば良かったけれど、閉じこめて暮らすのは気がひけたけれど、勝手なわがままでそうしていました。
1歳になったくらいで去勢手術もしました。これの善し悪しについても悩みましたが、自分が一つの命を責任持って預かるにあたって、そうすることにしました。
オスとして目覚めてくると、ますます気性は荒くなり、そこら中におしっこをまく性質が出てくるらしいです。自分のライフスタイルで飼うならば必要なことだと判断を下しました。
すると、確かに性格は少し落ち着き、大人しくなり、若干鳴き声もやさしくなったように思います。
初めて、人間に近い生き物を飼うことは自分にとって大きな経験となりました。
子猫の頃は本当に小さくて、暖かくて、身体は常に心臓の鼓動で揺れていて、その鼓動は早くて、命という大きさと、手で触れるだけで壊れてしまいそうな繊細さを併せ持っていました。
騒がしくする時は、声で言っても聞かず、叩いた時もあって。でも小さな命に加減がわからず、強く叩きすぎた事もありました。そんな時に不信の目で僕を見る眼差しに、強い後悔と悲しみを持ったこともありました。彼を育てることで僕も育てられていたのでしょう。命は、簡単に消えてしまいそうな小さなロウソクの炎のようなものだと学びました。
そうして過ごした12年間で、僕と裕次郎の中に確かな信頼関係を築けたのかどうかはわかりません。裕次郎のことをどれだけ理解していたのかもわかりません。
猫は猫であり、自分勝手で媚びず、犬のように従順でもない。もちろん何を考えているかもわからず、喋りかけられても意味がわからない。唯一わかるのは「エサをくれ」という訴えかけだけ。だけど、誰にも人見知りをしない性格で、訪ねてきた友人にも驚かれたりもしていました。犬は人につき、猫は家につくというけれど、引っ越してもすぐ部屋に慣れていました。
たまに外に出すこともありました。テレビや雑誌に出る機会があり外に出すのですが、相当緊張するようです。元々捨て猫だったので、拾われるまでは外で段ボール箱かなんかにいたと思うので平気かと思うのですが、おそらくその期間も短かったのでしょう。もしくは捨てられた寂しい思い出が蘇るのか、極度に緊張し、周りをキョロキョロと警戒し、動きは素早くなり、停めてある車の下などに逃げ込もうとします。目を離したら二度と会えなくなるような気がしたので、外に出すことはほとんどなくなりました。
けど、車の中は落ち着くようです。車で一緒に旭川の実家に行ったことがあるのですが、助手席で大人しく寝ていました。
裕次郎は犬が苦手でした。一度、友人がミニチュアダックスを部屋に連れてきたことがあって、猫と仲良くしたい犬とは裏腹に、部屋中を逃げ回り、見かねて犬を部屋の柱につないで近寄れないようにすると、今度は一定の距離を保って固まってしまい、押しても引いても声をかけても犬を凝視したままピクリとも動かなかったことがあります。ほんの一時間ほど同じ部屋で過ごしましたが、もしも、そのまま犬が居続けたら、それからどうなったのかは今でも興味があります。テレビや雑誌で犬と猫が仲良さそうに一緒に寝ている様子はやはりかわいい。
最後の一年くらいは、ほとんど一緒にいてやれませんでした。
僕が仕事で東京に行っている間は、猫が好きで裕次郎のことをかわいがってくれる友人の元に預けていました。
だんだん東京に頻繁に行くようになると、数ヶ月も預けっぱなしになることも多くなっていました。
東京にいる間に裕次郎が少し様子がおかしい、という知らせは受けていました。時々呼吸が荒くなる。けど常時ではないし、普段は何も変わらず元気で、エサも食べるし便もするということで甘くみていたのですが、友人が気をきかせて病院に連れて行って看てもらってくれました。
そして友人から電話がかかってきました。
両方の肺に水がたまって肺が膨張し、それが心臓を圧迫して呼吸を困難にしている。このままだと、命の危険があり、とりあえず入院することになった、と。
これが2008年5月31日の出来事。
最初のレントゲンの結果では水ではなく膿がたまっているのではないか、という診断で、だとすれば膿胸という病気なので膿を肺から抜くことができれば問題ない、という診断でした。しかし、猫としては高齢なので麻酔や処置のショックで命を落とす危険もあり得るということで、会いにこれますか?と先生がおっしゃり、時間を見つけて会いにいくと、裕次郎は高濃度の酸素を供給するケースに入れられていました。この中だと呼吸が苦しくとも比較的楽になるので、様子は良いようでした。
そしてまた仕事に戻って次の日に動物病院で処置をしたところ、肺にたまっていたのは膿ではなく、水だということがわかりました。レントゲンの診察では水が膿かを判断することはできないので、処置して初めてわかった事実でした。
肺から抜いた水は250ccもあり、先生も初めてのケースという量だったそうです。この状態で普通にしていたのは信じられない。
ここから新たな病名の予測がなされました。「リンパ肉腫」の疑いがあるという。つまりガン。猫にも人間と同じような病気があるようで、他に猫エイズも猫白血病もあるらしい。検査の結果、白血病とエイズの疑いはありませんでした。リンパ肉腫であるかどうかは、肺から抜いた水を病理学検査に出して調べてもらわないとわからないけど、1週間ほどかかる。なので、まだ特定はできない。
それからも裕次郎の入院は続きました。
しかし、肺の水は溜まり続けているという。一日経てば、またすごい勢いで溜まっていくので、また抜かなければ命の危険がある。しかし、処置を重ねれば体力を著しく奪われるので、こちらも命の危険がある。
ちょうど比較的札幌にいられることが多いスケジュールだったので、時間をつくっては会いにいきました。高濃度酸素ケースの中で力なくたたずむ様子を何度か見に行ったが、顔を合わせると裕次郎はエサを食べる姿を僕に見せつけました。先生が言うには、さっきまでは、まるでエサを食べなかったし、食べる気力もない様子だったらしい。食べたと言っても乾き物のエサを三粒ほど。食べたらこちらに背を向けました。
次の日にまた処置が行われました。この時は危なかったようです。処置を始めると急激に衰弱し、今にも命の火が消えそうだったという。
夜に会いにいくと、どうにか調子は戻っていました。顔を合わせると今度は力強く「ニャア」と鳴いた。
何かを語りかけるような声で、「まだ俺は頑張れる!!」とでも言っているかのようで。
その後は、先生が、急な勢いで溜まっていく水を抜くにあたって、何度も処置をすることによる危険を回避するためにチューブを身体に入れたままにする処置を行いました。この時も裕次郎は頑張った。ますます衰弱は激しくなるけど、命の火は消さずに頑張った。
その頃に病理学検査の結果は出ました。リンバ肉種をはっきりと表す成分は水の中から検出されなかった。しかし、可能性はないとは言えないし、他の病気であることも特定はできない。
しかし、さらに腎臓の数値にも異常が出始めた。尿毒症の危険。
さらに点滴で栄養を与えたいけれど、手の血管が見えにくいので無理を出来ない。そうしてるうちに栄養が足りないことでの身体のむくみでますます点滴をできなくなりました。なので流動食を無理矢理口から注入するという処置をとっていました。一時期、裕次郎は顔も身体もむくんでパンパンに丸くなっていました。
依然として出続ける原因不明の肺の水。衰弱が進む身体。身体からチューブを抜いて落ち着かせてあげたいが、放っておくと、また呼吸困難におちいってしまう。かといって、また一から処置をすると体力が持たない。悪循環の中、肺の水が止まるのを待つしかない日々。
そしてある日、流動食を食べ続けてくれていたおかげで身体のむくみがとれてきてスマートな身体に戻ってきました。おしっこも出来ているので尿毒症の危険もそれほどにはなくなった。
あとは水が止まればよくなっていきそうに見えました。
その日は昼から仕事に出かけるので、午前中にまた会いに行ってきました。
すっかりむくみが取れた顔。水はまだ収まらないが、少し落ち着いたかのように見えました。十数分だけど、いつものように身体や顔を撫でてやり手も握っていた。以前なら自分の部屋で、触りたい時に触れた、慣れ親しんだ感触。気持ち良さそうに目を細める裕次郎。では、と帰ろうとすると、そっぽを向いて背中を見せた。
そして午後5時20分くらいに電話が鳴りました。
手が離せなかったので、20分後にかけ直した。
携帯電話から聞こえる先生の声が「残念ですが・・・」と言った。
先生はよく、入院中に通っている時に言っていました。「この子は本当に強いですよ。12歳は猫にとって結構な高齢なのに、本当によく頑張ってますよ。」と。
こっちも、「もちろんですよ。なんつったって裕次郎ですから。タフガイと呼ばれた男ですよ。」と言っていた。
そして、最後の日は先生も、本当によく頑張ってくれたと思います。「音尾さんが言っておりましたが、本当に名前の通りタフガイでした。」と言ってくれました。
なぜかちょっと誇らしかった。
願いを込めてつけた名前の通りの男だった。
たかだか飼い猫のことなのに、こんなにも悲しいのか、と思った。
対人間での悲しい別れを経験した人たちに比べれば、まだましな方だと思う。そんな皆さんの事を考えると自分は情けないやつだ、とも思うけど、それ程に裕次郎と過ごした時間は自分の中で大切な時間だったんだな、とも思う。
入院した時から、覚悟はしていたので突然いなくなるよりは落ち着いて迎えられた。きっと、僕にお別れの時間をくれるために、最近会えなかったから、タフに頑張って時間をつくってくれたんだと思う。
この一年ほど、預けていた友人には本当に悪い事をしました。そんな辛い時間まで共有させてしまって。一年近くもいれば自分の飼い猫も同然、悲しみも大きいだろうし、僕への申し訳ない気持ちでもいっぱいだろう。でもそこは大丈夫。おかげで裕次郎はこの一年、寂しがらずにすんだし。本当にありがとう。
きっと裕次郎は、これからの新たな僕の旅立ちを前に身を引いて言ったんだと思う。もっと頑張れ、と。ガンガンいっちゃえ、と。
病院で顔を見て「ニャア」と言った時、本当はなんて言ったのかわからない。もしかしたら、これまで独りぼっちにしやがって、かも、もうダメかも、とかかもしれないし、他の文句だったかもしれないし、激励の言葉かもしれない。
でも、僕に向かって何か言ってくれたのは嬉しい。やっぱ信頼関係があったのかも。裕次郎にとって特別な存在でいれたのかも。
僕の愛した裕次郎。ありがとう。これまで本当にありがとう。ようやく僕は少し大人になれました。これからも、天国で見守っていてね。
音尾琢真
ごちゃまぜティーパンチ 第9回
著:宮崎奈緒美
ついに夏がやって来ましたね!私は夏が大好きです!!
だって日差しが気持ちよくて植物と一緒に光合成している気持ちになれないですか?
アクティブに動き回らなくちゃ!とか自然をいっぱい感じたい!とか、とりあえず暑い日には遊んでおけーみたいな気になるんですよね。
北海道って夏が短いから夏を大切に感じるのかなぁ?
飲み物に関しても夏はとっても嬉しい季節なんです。
私はかなりの寒がりなので6月に入っても温かい飲み物は手放せません。
大体ホットティーやホットコーヒーを頼んでしまいます。
でも7月から9月までは冷たい飲み物が楽しめるんです♪
アイスティーが楽しめる季節がもうすぐ来るんだなぁ。
ホットティーの季節はティーカップで見た目を楽しむことができますが、アイスティーになると今度はグラスが透明になるからトッピングやフルーツを入れて見た目を飾ることができて楽しいんです!
それで言えばティーカクテルを作るのはとっても楽しいですよ☆
色んなリキュールを混ぜたりフルーツを入れたり茶葉にこだわってみたりとお料理や実験している気持ちになれて面白いんですよ。
では宮崎奈緒美オススメの夏にぴったりティーカクテルを紹介します♪
材料(2人分)
アイスティー200cc シュガーシロップ 40cc
梅酒 20cc オレンジ果汁 20c
上の材料を全て混ぜ合わせて完成というとっても簡単なティーカクテルです。
オレンジの残った皮を入れたり、グラスに飾るとより一層美味しそうに見えますね♪
他にも梅酒の代わりにライチ酒や杏子酒を入れても美味しかったです!
甘くて飲みやすいし紅茶の香りもふんわりして癒されますよ☆
今は夏らしくココナッツを使ったティーカクテルを作れないかと考え中ですが、これがなかなか上手くいきません。
紅茶の香りがココナッツの香りに負けて消えちゃうんですよねーー。
ココナッツを使った美味しいティーカクテルがあったら教えてください!
ティーカクテルは甘くてカパカパ飲めてもアルコールが入っています
飲みすぎには気をつけてくださいね!!
そして、お酒は20歳をすぎてからですよ!
2008年6月10日午後5時20分。猫の裕次郎は亡くなりました。
レントゲンや病理学検査を駆使するも、原因を特定できないまま逝きました。
思えば12年前からの長い付き合い。大学に入って一人暮らしを始めて、2年生の終わりから飼い始めたあの頃をよく思い出します。
それ以前に飼ったことのある動物は、さらに小さくて、寿命の短い生き物達ばかりでした。クワガタ、ドジョウ、フナ、金魚など、ケースや水槽の中に入れてエサをあげるだけの生き物達。小学生の僕には生き物という感覚もなかったように思えますが、今となっては彼らにも尊い命が宿っていたのだと、生命の不思議を感じています。
初めは、大学2年の終わりにふと「猫を飼いたい」と思ったことからでした。
雄猫を飼って男同士語らい合いたい、という謎の感情が僕を動かし、周りに言ううち、程なく猫の新しい飼い主を探しているという人の話を耳にしました。
それは、まだ小学生になるかならないかという子供を二人かかえる家庭で、子供達に猫アレルギーが出たので飼えなくなった、という事情があったようです。
喜び勇んで会いにいった一軒家の広いリビングには、寂しげな子供達に見守られた二匹の子猫が。トラ模様の、少し茶色がかったそれと、キジトラの黒っぽい猫。茶色がかった子猫は落ち着いていて、黒っぽい方はもう一匹の周りを元気に走り回っていました。
元気に走り回る姿は僕の心に運命的なものを感じさせました。
やんちゃで、手の平に乗るほどの大きさで、男の子だけれど、名前は「モモちゃん」。できれば二匹まとめて引き取りたかったけれど、初めてということと、お金もかかるということもあり、泣く泣く二匹を引き離すことにしました。
茶色っぽい猫はその後どうなったのかはわかりません。もしかすると誰かに愛されてまだ元気でいるかもしれないし、死んでしまったのかもわかりません。二匹いれば楽しかっただろうな、と今でも思っています。
かくして連れ帰った猫「モモちゃん」には「裕次郎」と名付け直しました。
憧れるスターであり、男らしいイメージのあるタフガイ、石原裕次郎さんの名前から勝手にいただきました。
しかし男らしい名前とは裏腹に、よくなつき、寝る時なども布団に入ってきてピッタリとくっついてきたり、いつの間にか腕枕に寝ていたりと、かわいらしい猫で、かと思えば、お腹が空いたらギャーギャーさわぎ、それが朝方の僕がまだ寝ている時間でも、騒いだり飛び乗ってきたりしてエサをねだる、自分勝手な猫らしい猫。よく鳴いて、よく走り回って、棚の上やテーブルにも飛び乗って、置いてあったものを次から次へとなぎ倒していくやんちゃぶり。
事情があってリーダーである森崎氏の部屋に一泊預けた時も、走り回り棚の上を蹴散らし、夜中にもよく鳴いて迷惑をかけたことがあります。
最初一緒に過ごした部屋はペット不可のアパートでした。急遽引っ越すわけにもいかず、当面大丈夫だろうと高を括っていると、ある日玄関のチャイムがなり、戸を叩く音が鳴り響きました。
「管理会社の者ですが。」
その一言にはずいぶん怯えました。
しかし裕次郎は相変わらず走り回り、よく鳴いています。
居留守を使おうとは思いましたが意を決し、狭い部屋の玄関へ通じる扉を閉じてから玄関の戸を開けました。
「音尾さん。猫飼ってますよね?」
ドキリ。でも動揺していないふりをして、飼ってませんよ、と言いました。
「飼ってますよね?」
と今度は苛立たしげに言われたけど、やはり、飼ってません。と答えました。
「わかってるんですよ。困るんですよね、うちはペットは禁止していますので。」
それでもしらを切り通していたその時。背後の戸から、
「ニャー!ニャー!カリカリカリカリ・・・・」
と、鳴き声と戸を爪で掻く音がひっきりなしに聞こえてきました。
「音尾さんね、うちはペットを禁止してますので。早急に処分して下さい。明日また来ますからね。」と管理会社の方は言い捨てて去っていきました。
もともと、バレたらどうしよう、と怯えながら暮らしではいましたが、やはり厳しいものでした。
早急にどうしたらいいものかと悩みましたが、処分する気はないので、引っ越しをするまでは、当時お付き合いをしていた女性の家に預けました。それが最初に離ればなれに暮らした時です。
ペットを飼えるアパートに暮らしてからは落ち着いた日々でした。木造アパートだったので、周りの住人に迷惑はかけないようにするのは大変でしたが。
自分が、大学に、バイトに、劇団に、と忙しくしていたので、裕次郎は家の中だけで飼っていました。いつでも外との出入りをできるようにできれば良かったけれど、閉じこめて暮らすのは気がひけたけれど、勝手なわがままでそうしていました。
1歳になったくらいで去勢手術もしました。これの善し悪しについても悩みましたが、自分が一つの命を責任持って預かるにあたって、そうすることにしました。
オスとして目覚めてくると、ますます気性は荒くなり、そこら中におしっこをまく性質が出てくるらしいです。自分のライフスタイルで飼うならば必要なことだと判断を下しました。
すると、確かに性格は少し落ち着き、大人しくなり、若干鳴き声もやさしくなったように思います。
初めて、人間に近い生き物を飼うことは自分にとって大きな経験となりました。
子猫の頃は本当に小さくて、暖かくて、身体は常に心臓の鼓動で揺れていて、その鼓動は早くて、命という大きさと、手で触れるだけで壊れてしまいそうな繊細さを併せ持っていました。
騒がしくする時は、声で言っても聞かず、叩いた時もあって。でも小さな命に加減がわからず、強く叩きすぎた事もありました。そんな時に不信の目で僕を見る眼差しに、強い後悔と悲しみを持ったこともありました。彼を育てることで僕も育てられていたのでしょう。命は、簡単に消えてしまいそうな小さなロウソクの炎のようなものだと学びました。
そうして過ごした12年間で、僕と裕次郎の中に確かな信頼関係を築けたのかどうかはわかりません。裕次郎のことをどれだけ理解していたのかもわかりません。
猫は猫であり、自分勝手で媚びず、犬のように従順でもない。もちろん何を考えているかもわからず、喋りかけられても意味がわからない。唯一わかるのは「エサをくれ」という訴えかけだけ。だけど、誰にも人見知りをしない性格で、訪ねてきた友人にも驚かれたりもしていました。犬は人につき、猫は家につくというけれど、引っ越してもすぐ部屋に慣れていました。
たまに外に出すこともありました。テレビや雑誌に出る機会があり外に出すのですが、相当緊張するようです。元々捨て猫だったので、拾われるまでは外で段ボール箱かなんかにいたと思うので平気かと思うのですが、おそらくその期間も短かったのでしょう。もしくは捨てられた寂しい思い出が蘇るのか、極度に緊張し、周りをキョロキョロと警戒し、動きは素早くなり、停めてある車の下などに逃げ込もうとします。目を離したら二度と会えなくなるような気がしたので、外に出すことはほとんどなくなりました。
けど、車の中は落ち着くようです。車で一緒に旭川の実家に行ったことがあるのですが、助手席で大人しく寝ていました。
裕次郎は犬が苦手でした。一度、友人がミニチュアダックスを部屋に連れてきたことがあって、猫と仲良くしたい犬とは裏腹に、部屋中を逃げ回り、見かねて犬を部屋の柱につないで近寄れないようにすると、今度は一定の距離を保って固まってしまい、押しても引いても声をかけても犬を凝視したままピクリとも動かなかったことがあります。ほんの一時間ほど同じ部屋で過ごしましたが、もしも、そのまま犬が居続けたら、それからどうなったのかは今でも興味があります。テレビや雑誌で犬と猫が仲良さそうに一緒に寝ている様子はやはりかわいい。
最後の一年くらいは、ほとんど一緒にいてやれませんでした。
僕が仕事で東京に行っている間は、猫が好きで裕次郎のことをかわいがってくれる友人の元に預けていました。
だんだん東京に頻繁に行くようになると、数ヶ月も預けっぱなしになることも多くなっていました。
東京にいる間に裕次郎が少し様子がおかしい、という知らせは受けていました。時々呼吸が荒くなる。けど常時ではないし、普段は何も変わらず元気で、エサも食べるし便もするということで甘くみていたのですが、友人が気をきかせて病院に連れて行って看てもらってくれました。
そして友人から電話がかかってきました。
両方の肺に水がたまって肺が膨張し、それが心臓を圧迫して呼吸を困難にしている。このままだと、命の危険があり、とりあえず入院することになった、と。
これが2008年5月31日の出来事。
最初のレントゲンの結果では水ではなく膿がたまっているのではないか、という診断で、だとすれば膿胸という病気なので膿を肺から抜くことができれば問題ない、という診断でした。しかし、猫としては高齢なので麻酔や処置のショックで命を落とす危険もあり得るということで、会いにこれますか?と先生がおっしゃり、時間を見つけて会いにいくと、裕次郎は高濃度の酸素を供給するケースに入れられていました。この中だと呼吸が苦しくとも比較的楽になるので、様子は良いようでした。
そしてまた仕事に戻って次の日に動物病院で処置をしたところ、肺にたまっていたのは膿ではなく、水だということがわかりました。レントゲンの診察では水が膿かを判断することはできないので、処置して初めてわかった事実でした。
肺から抜いた水は250ccもあり、先生も初めてのケースという量だったそうです。この状態で普通にしていたのは信じられない。
ここから新たな病名の予測がなされました。「リンパ肉腫」の疑いがあるという。つまりガン。猫にも人間と同じような病気があるようで、他に猫エイズも猫白血病もあるらしい。検査の結果、白血病とエイズの疑いはありませんでした。リンパ肉腫であるかどうかは、肺から抜いた水を病理学検査に出して調べてもらわないとわからないけど、1週間ほどかかる。なので、まだ特定はできない。
それからも裕次郎の入院は続きました。
しかし、肺の水は溜まり続けているという。一日経てば、またすごい勢いで溜まっていくので、また抜かなければ命の危険がある。しかし、処置を重ねれば体力を著しく奪われるので、こちらも命の危険がある。
ちょうど比較的札幌にいられることが多いスケジュールだったので、時間をつくっては会いにいきました。高濃度酸素ケースの中で力なくたたずむ様子を何度か見に行ったが、顔を合わせると裕次郎はエサを食べる姿を僕に見せつけました。先生が言うには、さっきまでは、まるでエサを食べなかったし、食べる気力もない様子だったらしい。食べたと言っても乾き物のエサを三粒ほど。食べたらこちらに背を向けました。
次の日にまた処置が行われました。この時は危なかったようです。処置を始めると急激に衰弱し、今にも命の火が消えそうだったという。
夜に会いにいくと、どうにか調子は戻っていました。顔を合わせると今度は力強く「ニャア」と鳴いた。
何かを語りかけるような声で、「まだ俺は頑張れる!!」とでも言っているかのようで。
その後は、先生が、急な勢いで溜まっていく水を抜くにあたって、何度も処置をすることによる危険を回避するためにチューブを身体に入れたままにする処置を行いました。この時も裕次郎は頑張った。ますます衰弱は激しくなるけど、命の火は消さずに頑張った。
その頃に病理学検査の結果は出ました。リンバ肉種をはっきりと表す成分は水の中から検出されなかった。しかし、可能性はないとは言えないし、他の病気であることも特定はできない。
しかし、さらに腎臓の数値にも異常が出始めた。尿毒症の危険。
さらに点滴で栄養を与えたいけれど、手の血管が見えにくいので無理を出来ない。そうしてるうちに栄養が足りないことでの身体のむくみでますます点滴をできなくなりました。なので流動食を無理矢理口から注入するという処置をとっていました。一時期、裕次郎は顔も身体もむくんでパンパンに丸くなっていました。
依然として出続ける原因不明の肺の水。衰弱が進む身体。身体からチューブを抜いて落ち着かせてあげたいが、放っておくと、また呼吸困難におちいってしまう。かといって、また一から処置をすると体力が持たない。悪循環の中、肺の水が止まるのを待つしかない日々。
そしてある日、流動食を食べ続けてくれていたおかげで身体のむくみがとれてきてスマートな身体に戻ってきました。おしっこも出来ているので尿毒症の危険もそれほどにはなくなった。
あとは水が止まればよくなっていきそうに見えました。
その日は昼から仕事に出かけるので、午前中にまた会いに行ってきました。
すっかりむくみが取れた顔。水はまだ収まらないが、少し落ち着いたかのように見えました。十数分だけど、いつものように身体や顔を撫でてやり手も握っていた。以前なら自分の部屋で、触りたい時に触れた、慣れ親しんだ感触。気持ち良さそうに目を細める裕次郎。では、と帰ろうとすると、そっぽを向いて背中を見せた。
そして午後5時20分くらいに電話が鳴りました。
手が離せなかったので、20分後にかけ直した。
携帯電話から聞こえる先生の声が「残念ですが・・・」と言った。
先生はよく、入院中に通っている時に言っていました。「この子は本当に強いですよ。12歳は猫にとって結構な高齢なのに、本当によく頑張ってますよ。」と。
こっちも、「もちろんですよ。なんつったって裕次郎ですから。タフガイと呼ばれた男ですよ。」と言っていた。
そして、最後の日は先生も、本当によく頑張ってくれたと思います。「音尾さんが言っておりましたが、本当に名前の通りタフガイでした。」と言ってくれました。
なぜかちょっと誇らしかった。
願いを込めてつけた名前の通りの男だった。
たかだか飼い猫のことなのに、こんなにも悲しいのか、と思った。
対人間での悲しい別れを経験した人たちに比べれば、まだましな方だと思う。そんな皆さんの事を考えると自分は情けないやつだ、とも思うけど、それ程に裕次郎と過ごした時間は自分の中で大切な時間だったんだな、とも思う。
入院した時から、覚悟はしていたので突然いなくなるよりは落ち着いて迎えられた。きっと、僕にお別れの時間をくれるために、最近会えなかったから、タフに頑張って時間をつくってくれたんだと思う。
この一年ほど、預けていた友人には本当に悪い事をしました。そんな辛い時間まで共有させてしまって。一年近くもいれば自分の飼い猫も同然、悲しみも大きいだろうし、僕への申し訳ない気持ちでもいっぱいだろう。でもそこは大丈夫。おかげで裕次郎はこの一年、寂しがらずにすんだし。本当にありがとう。
きっと裕次郎は、これからの新たな僕の旅立ちを前に身を引いて言ったんだと思う。もっと頑張れ、と。ガンガンいっちゃえ、と。
病院で顔を見て「ニャア」と言った時、本当はなんて言ったのかわからない。もしかしたら、これまで独りぼっちにしやがって、かも、もうダメかも、とかかもしれないし、他の文句だったかもしれないし、激励の言葉かもしれない。
でも、僕に向かって何か言ってくれたのは嬉しい。やっぱ信頼関係があったのかも。裕次郎にとって特別な存在でいれたのかも。
僕の愛した裕次郎。ありがとう。これまで本当にありがとう。ようやく僕は少し大人になれました。これからも、天国で見守っていてね。
音尾琢真